僕らはいつだって
真実を探している。
Novel
【ブロンズの手鏡】
柚子のような香りを感じて、ふと見た時に、事件は起こった。
「あ、!」
落としましたよ、と声をかけようとして、少年は、その”落し物”に萎縮した。
それは持ち手のついた金色の小さな手鏡だったのだが、そんなことに気づく間も無い刹那、彼の目に映ったのは鏡の裏に掘られた十字架だった。
「安らぎの象徴」であるその十字は、決して逆さにしてはならないのだ。
運悪く鏡は逆さに落下して、まるで墓標のように地面に突き刺さったのだった。
少年にはそれが、非常に良くない何か、とても不吉な予兆に思えた。
彼が我に帰り、顔を上げた頃にはもう、落とし主はどこかへ去ってしまっていた。
ーーーーー
「それで、鏡を拾ってここに来たわけか。」
青い髪の少年は鏡を一通り眺めてから、机に置いて言った。
「それで、どうするんだ?」
「鏡を渡したいです。持ち主を探さないと!」
少年は気合をいれるように両手で拳をつくる。
「たぶん高校生だと思うんです。でも…」
少年は言葉を濁らせ、続ける。
「でも、この鏡を渡すことは本当にその人のためになるのでしょうか。何か悪いことが起こったりなんてしませんよね?」
いつになく不安げな様子に、青い髪の少年はゆっくりと席を立って、窓際へと歩いて行く。
窓の外を見ると、どんよりと曇っていた。
「…その鏡はブロンズ製だ。装飾の継ぎ目が削られてる。意匠は19世紀パリシアで流行ったものだと思う。以降のリバイバルでは、鋳造技術が発展して継ぎ目の荒さが少なくなった分、庶民用の流通品は量産のために、継ぎ目の研磨は行われなかった。
だからこれは当時のオリジナルである可能性が高い。でもその時代は、ブロンズに文字を彫ることはほとんど無かったと聞いてる」
「えっ、え、」
「十字の彫り込みは後から入れたものだ。製造から現在までの約200年、どこかのタイミングで、誰かが何らかの意思で入れたもの」
彼はそこまで言って、一呼吸の間、目を閉じる。
曇りは嫌いではなかった。
雨が降るかもしれないが、もしかしたら晴れるかもしれない。
「大事なものだったと思う。」
ーーーーー
少年は走っていた。
一分一秒でも早く、この鏡を届けたいと心から思っていた。
失った悲しみから救うためではなく、もう一度会える喜びを届けるために。
「あの!!!!」
ほのかな柚子の香りがくるりと舞った。
ーーーーー
ニット帽を被った少年は微笑んだ。
「驚いた。”逆さ”になったことを言うなんて。」
「ブロンズの手鏡か……。持ち手の方が重いから、逆さになるなんてそうないよ?拾ったとき、嫌でも分かったはずだ。……でもあの子は持ち主に伝えた。」
「知らなくていいことをなぜ伝えるの?やらなくていいことをなぜするの?」
少年は、自身が首から下げている十字を目線まで持ち上げる。
雲の隙間から差し込んできた光は、当然のようにその逆十字を照らした。
【ブロンズの手鏡 ー終ー】